思い違い
2023.3.11 毎日投稿 第68回
僕は数年前まで、小難しい言い回しの文章の方が小説らしく正しい書き方だと勘違いしていた。
だからやたら難しい漢字を多用したり、情景描写も飾り立てた文章が多いと思う。
例えば「頬を赤らめた」という描写を「頬を赧らめた」などである。
読者に伝えるとしたら「頬を赤らめた」にしたほうが良いのだ。
僕は「赧らめた」という字を使ったが、この漢字が「恥ずかしそうに」という意味を含むからである。
ただ、コレは僕がそれを調べたから「使いたい」という欲が出てきて、使用したのである。
仮に前述したような感じを使用したことで、恥ずかしそうに顔を赤くしたという意図に気づくだろうか。
多くの場合、その意図は気にもかけられないと思う。
ただ、僕自身がこの漢字には「恥ずかしい」という意味が含まれているんだぞという無意味な自己顕示欲の発露でしかないのだ。
読んでいる人に、想像してもらうなら「恥ずかしそうに頬を赤らめた」と描写したほうがしっかりとその意味が伝わるはずだ。
この文章に、動きを付けることでも、想像が膨らむと思う。
「恥ずかしそうに、目を逸らして、頬を赤らめた」とか「恥ずかしそうに、俯いて、頬を赤らめた」とかそういった具合だ。
「目を逸らして、頬を赧らめた」と描写したときに「恥ずかしい」という要素を読み取る人がどれだけいるか、という事をあまり意識せず書いていた。
これは作家を気取りたがっていた僕の欲望である。
恥ずかしい限りだ。
そういう無意味な見栄というか、顕示欲のようなものが薄らいで、ちゃんと読んでいる人に伝わるように心がけようと思う。
難しい言葉や漢字を使わなくても、面白い物語は面白いのだし。
鯉庵