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義妹は甘え

 2023.2.28 毎日投稿 第58回

 義妹は甘え、コレは創作における僕のポリシーである。
 妹というのは、あらゆる創作物でポピュラーなジャンルだ。
 今はそこまで目にしなくはなったものの、少し前までは主流だったように思う。
 僕自身は、全くと言っていい程妹モノというジャンルに関して、オタクとしての触手は動かない。
 多くの作品で、主人公の妹とういうのは、人気が高い。
 しかし、僕にはどうにも納得できないことが在る。
 それは「義妹」という設定である。
 この義妹というのがかなり多発していて、実妹というのは案外少ない。
 ライトノベルやエロゲでも、義妹の方が圧倒的に多い。
 僕はこれを「逃げ」だと考えている。
 妹と兄を恋愛的に進展させるには、実の兄妹というのはインモラルであり、リアリティにも欠ける。
 そこで便利なのが「義妹」という設定である。
 義妹というのは、血の繋がりはなく、養子であったり、両親の再婚だったり、幼馴染で妹のような……などという万能設定である。
 また、年齢に関しても設定の幅が利かせやすく、幼少期から一緒だったり、思春期真っただ中に美少女妹が出来たりとやりたい放題である。
 でも少し待ってほしい。
 コレでは、「妹」という付加価値が途轍もなく減るような気がする。
 究極的に義妹というのは、法律でも結婚できる。
 多少の背徳感はあれど、障害にはならないのである。
「実の兄妹として育てられたけど、実は血が繋がっていなかった!」
 興覚めである。
 ハッキリ言って逃げでしかない。
 勿論手法としてはありだろうが、結局のところ後出しでどうにでもなるのだから興覚めもやむ無しである。
 別に僕は、妹というジャンルを好むオタクが居るのはいいと思うし、実際美少女の可愛い妹がお兄ちゃんラブといい、懐いてくれるのは、夢のシチュエーションだと思う。
 しかし、妹という個性が「義妹」に変形することでその個性は色あせて、作家が逃げるための口実になってしまっている気がしてならないのである。

 鯉庵

ダイエットに対するモチベーション

 2023.2.27 毎日投稿 第57回

 ダイエットを決意してから約三年が経とうとしている。
 成功か失敗かで言えば、失敗だろう。
 体重そのものは、減ったはしたものの、まだ腹にはたっぷりと肉が残っていて自分が理想とする体系には程遠い。
 運動(筋トレ)する習慣は、今も続いているが、初期の頃より熱意は冷めてしまったように思う。
 自分は意思が弱い人間だという自覚はあるので、一度さぼりをしてしまうと一気にやる気が無くなってしまう。
 これは毎日投稿もそうで、このブログを一日でも休んでしまえば、僕はもう書かなくなると思う。
 チートデイという夢のシステムがあるが、アレは科学的根拠に乏しいらしい。
 どちらかといえば、気休めというかモチベーションアップのためにあるようなものだそうである。
 僕はことあるごとに言い訳をしながらこの制度を利用して自分を甘やかしてしまう。
 最初は3カ月に一回だったのが、2カ月に一回、現在では月一の状態である。
 最近では、あの頃のモチベーションは消え失せて、健康を害さない範囲で頑張ろうというレベルにまで落ちてしまった。
 こうしてブログに書くことによって、多少は戒めることを心掛けるが、なかなか厳しいと思う。
 シックスパックへの道のりは遥か彼方である。

 鯉庵

同人誌の値段

 2023.2.26 毎日投稿 第56回

 同人誌の値段というトレンドを目にするたびにイライラが募る。
 だいたいのツイートが作家側によったツイートが多いからである。
 二次創作の同人誌が高いという話は僕も同意見だ。
 そもそも僕の個人的な意見として、二次創作を販売するという行為そのものに懐疑的である。
 二次創作という文化自体を否定する気はないが、どうも値段の話題になると作家側の主張が傲慢に思えてならない。
 勿論、買う側も傲慢な主張が散見されるが、僕は作家の方が傲慢だと思えてしまう。
 大前提として、二次創作は公式の目こぼしであるというのは事実であり、作家側の好き勝手な解釈で書いて、それを製本して売っているということを自覚するべきだと思う。
 ファン活動として、公式が黙認する場合が多いので、作家が自由に値段を設定し販売するのだろうが、そもそも本にして販売するという行為が「作家側の勝手な都合」であるのだから寧ろ赤字になっている。という主張自体がかなり意味不明である。勝手にキャラクターを使用して本にしているのは作家側が勝手にやっている行動なのだからそんな事情は考慮するに値しないのである。
 印刷するのは、作家がやりたくてやっているのだから赤字になるのが嫌ならイベントに参加するのも本をするのもやめればいい話なのである。
 それを然も「作家側の苦労も知らずに」と恥ずかしげもなく主張するのは如何なものか。
 ファン活動の一環であると主張するならば赤字になろうが関係ないのである。
 僕も二次創作の活動はしているが、それを販売しようとは思わないし、ファン活動の一環であるから利益を得ようなどとも考えていない。
 同人作家が「利益は出ていない。むしろ赤字だ」という主張を目にする度に「何を当たり前なこと」とあきれ果てるばかりである。
 金がかかる活動が嫌ならやめればいいのだ。
 勿論同人誌を買わないという選択の自由もあるのだから値段が高い! まけろという主張もどうかとは思う。
 しかしながら僕は、やたらと作家側の権利だと声高に主張する風潮も如何なものかと考えてしまう。

 鯉庵

運転しない型ゴールド免許

 2023.2.25 第55回 毎日投稿

 運転免許更新のハガキがやってきた。
 無事故無違反でゴールドである。
 ただ、僕の場合は、運転していないからという枕詞が付く。
 僕は運転が嫌いだ。
 やむにやまれぬという事情で通勤に車を使っているという状態である。
 正直田舎でなければ、運転免許を取得しようとすら考えなかっただろう。
 まぁそんなことを愚痴ったところでどうにもならない。
 僕はこれからも安全運転を心掛け一生ゴールド免許であり続けたいのである。
 僕は昔、玉突き事故の加害者になったことがあり、それ以来さらに運転が苦手になってしまった。
 幸い軽い事故で被害者の方も軽傷だったので、誠心誠意謝罪して大事には至らなかったが、あの時は生きた心地がしなかった。
 車の上部にウェルキャリーを設置することで、車いすを収納し運転するのだが、衝突の際すぐに対応できず、保険屋と警察に電話する以外に何もできずしびれを切らした被害者の方に呆れられたのをよく覚えている。
 これは当たり前だが、僕の100%過失なわけで、そこに障害者という事情が介入する余地はない。
 だから本当にあの時は、人生が終わったと本気で思っていた。
 それ以来、僕は通勤以外は極力運転を避けがちだ。
 友人と出かけるとき、たまに運転する程度である。
 もう何年も事故はないが、それでもなれるということはない。
 次の更新も、その次の更新も、無事故無違反で永久にゴールド免許を持ち続ける所存である。

 鯉庵

おめでとう ウマ娘 2周年

 2023.2.24 毎日投稿 第54回

 ウマ娘プリティーダービーのアプリがリリースされて今日でちょうど2年が経つ。
 ウマ娘を知る以前は、競馬を単なるギャンブルとしか観ていなかった自分が、今では推し馬に少額とはいえ馬券を購入するまでになったのだから人生何があるかわからない。
 アプリに関しては、変わらずゆるプレイを続けている。
 こういうモノは、気が向いたときに遊ぶのが一番いい。
 ウマ娘の推しについて、少し書き綴ろうと思う。
 僕は、最推しというウマ娘はいない。
 全員緩く好きくらいだ。
 ただ、エアグルーヴをホーム画面に据えて、朝の挨拶を聴く程度には贔屓しているので、彼女について書くとしよう。
 彼女は、自分を女帝と呼び、その呼称に相応しい傑物である。
 自分にも他人にも厳しい女性であるが、その心根は高潔である。
 僕がエアグルーヴに惹かれたシーンは、イベントストーリーの中で、カーネーションを後輩に譲るシーンである。
 黄色いカーネーションの花言葉は「嫉妬」であるという。
 それを憧れの人物に渡すことで宣戦布告(尊敬と敬意を以て)するという習わしがあるそうだ。
 彼女は、それを自分の母親に渡すつもりでいた。
 最後の一輪だった。
 それを後輩に譲るのである。
 エアグルーヴは、母を尊敬していて、普段大人びた彼女が少し年相応にはしゃぐのは母の前だけだったりする。
 そのギャップが愛らしい。
 また彼女は自分の理想に妥協を許さないストイックさがあり、女性であることに誇りを持ち、品格のあるキャラクターである。
 その気高さが堪らない。
 また、正月には「雑煮を喰わねばならない」とトレーナーに自ら振舞う。
 しかも実家の味付けに寄せてくれる。
 なんという嫁力だろうか。
 結婚しよう。
 と真面目に言いたくなるほど、女性的魅力に溢れている。
 今年のバレンタインキャンペーンでも真っ先に彼女からチョコを貰った。
 ぜひトレーナーと幸せになってほしい。
 閑話休題。
 これからどんどんウマ娘が盛り上がっていくのは間違いないが、僕が一番気になっているのは、アプリのメインストーリーだ。
 勿論、アニメ放映にも期待はしているがアプリ版のメインストーリー第二部の内容が気になって仕方ない。
 個人的には配信アニメの延長線上でメイショウドトウを主人公に据えた話が観てみたい。
 覇王を超える瞬間を一部を超えるクオリティーで観たいと切に願う。
 この間の生放送では情報がなかったので、可能であれば、5thライブの現地でその情報解禁の瞬間に立ち会いたいっと思う。

 鯉庵

窪田正孝くん

 2023.2.23 毎日投稿 第53回

 舞台エヴァンゲリオンビヨンドが気になっている。
 公演開始は5月の模様だ。
 チケットが取れれば、是非見に行きたい舞台である。
 というのも、僕は主演の窪田正孝くんの演技がとても好きだ。
 正直に話すとヱヴァンゲリヲンの舞台という内容にはあまり期待していない。
 まぁ、興味はあるのだが……如何せん作品が作品なので、どうなるかは未知数である。
 ただ、彼の演技が間近で観られて、好奇心を刺激される作品の舞台であるから予定と予算に問題がなければ、是非とも観劇したいのだ。
 僕が彼を知ったのは「ガチバン」という作品シリーズであり、キレたら誰にも止められない狂犬のような主人公を演じている。
 正直B級映画感の否めない作品であるが、彼だけがあの作品の中で異様な存在感を醸し出していた。
 演技と言うよりは、彼の肉体に黒永勇人というキャラクターが憑依しているように感じる。
 そういう芝居であったと思う。
 なんだか上から目線になってしまったが、そう表現するのが適切だと思う。
 ヤンキーという人種にはまったくす気にはなれないが、その暴力性と理性の乏しい獣のような人間をあそこまで演じることが出来るのは、素直に感動モノである。
 これは想像でしかないのだが、きっとエヴァンゲリオンビヨンドでも、そういう壊れている人間、もしくは壊れてゆくの生々しい過程を観ることが出来るのではないかと期待している。

リアリティ高尚主義

 2023.2.22 毎日投稿 第52回

 創作物に於けるリアリティについて、個人的にはあまりこだわる必要はないと僕は考える。
 勿論リアリティを追求することはいいことだとは思うが、それだからリアルだから素晴らしいという事もない。
 例えば、漫画やアニメでよくある格闘シーンなどでも、リアリティを重視すると、地味になりがちだ。
 総合格闘技などの試合では、打撃技より寝技が重宝されるが、見ている側(僕)からすると面白みに欠けてしまう。
 刀の居合や剣術なども、漫画やアニメのような、派手さはない。
 エンタメ性があるのが、創作のいいところでもある。
 刃鳴散らすというADV作品がある。
 ニトロプラスから発売された作品であるが、この作品には経験者特有のリアリティがある。
 物語の序盤、主人公の所属する組織がテロリストに襲撃を受ける。
 その時に朱音がテロリストを5人斬った段階で「刃こぼれしないいい刀だ」というモノローグが入る。
 多くの物語で、刀を武器に戦うことはポピュラーであるが、大体の作品では100人斬っただとか千人斬っただとか膨大な数を盛りがちである。
 僕の感想として「5人斬ったら普通は刃こぼれするんだ!」という衝撃が在ったことを覚えている。
 僕は日本刀を持ったことすらないし、妄想の中のアクションでしか描写することが出来ないのである。
 知識として、蓄えることは出来ても経験には勝てないだろう。
 けれど、そのこと自体は割り切って書けばいいと思うのである。
 僕は、家族旅行でハワイに行ったとき、狙撃場に行ってベレッタを撃ったことがあるが、漫画やアニメで観るような描写はファンタジーであると肌で実感した。
 銃を片手で持って、横向きに撃ったり、二丁拳銃で乱射などファンタジーでしかありえないのである。
 しかし、そのファンタジーな妄想を創作で表現することは、悪い事ではない。
 世の中には、リアリティが至高であり、そういう妄想誇張表現を下に見る人たちがいるが、どちらもいいところと悪いところがあるのだから重箱の隅を楊枝でほじくるような指摘や発言はしない方がいいと僕は思う。

 鯉庵

お一人様

 2023.2.21 毎日投稿 第51回

 ぼっち・ざ・ろっくにて、主人公の後藤ひとりが「ぼっちと一人好きは明確な違いがある」と嘆くシーンがある。
 僕は友人は少ない方で、なかなか集団の輪に入っていくことが苦手な人間であるという自覚はある物の陰キャという程でもなく、陽キャという程でもないと思っている一人好き人間である。
 若いころは、一人でいることにネガティブなイメージを持っていた。
 寂しい奴だという事を認めたくなかったのかもしれない。
 逆に現在は、一人サイコー!!! と一人を満喫することが多い。
 一人で居ることの最大のメリットは、誰にも気兼ねしないというところにあると思う。
 シンプルで単純であるが、それ故に真実なのである。
 例えば、友達と映画を観る約束をすると、お互い観たいものが重なればいいのだが違った場合どちらを観るか話し合うことになる。
 もうこの時点で、僕は自分の観たいモノを排除して次の機会に回す。
 もめるのも面倒だし、別の日に観ればよいのだからそれでいいのだ。
 食事に関しても、同じである。
 ハッキリ言って、一人で居る方が楽である。
 結局、一人で居た方が様々な事柄を自分の責任で楽しむことが出来るのだ。
 一人で映画も、一人でカラオケも、一人で焼肉も、ぶっちゃけ一人の方が楽だと吹っ切れた。
 一生の内で試したい一人ディズニーランドは、まだ実行できていない。
 友人と過ごすことが嫌いなわけでもないし、むしろ好きなのだが、一人で居る時の気楽さを想うと結構自分は気疲れする質なのだと自覚した。
 ちなみに、僕が一番好きなお一人様は焼肉である。
 アレはいいモノだ。
 まず自分のペースで食べられる。
 僕は肉をひっくり返すのに戸惑うことも多いので、多人数で行くと肉を消費する係に回る。
 どんどん焼かれた肉が皿に放り込まれるので、需要に対して供給過多になるのである。
 やってもらっている立場ではあるものの、やはりちょっと楽しめていない気がする。
 一人焼肉は僕の中で「お一人様難易度高ランク」のイメージがあったのだが、孤独のグルメを観てその考えは改まった。
 確かに家族ずれや社会人の飲み会、合コンなどが開催されている中、ぽつんと一人大きいテーブルで肉を焼くというのは侘しいかもしれない。
 しかし、その大きいテーブルに好きな肉を好きなだけ並べて、一人占めするというのもかなりの贅沢であると思う。
 最近はいろいろ重なり、出来ていなかったが今年のGWあたりに、また一人焼肉パーティを楽しみたいと考えている。

 鯉庵

志摩スペイン村

 2023.2.20 毎日投稿 第50回

 エスパーニャ~~♪♪
 YouTubeやニコニコ動画の広告でよく見かけるようになった志摩スペイン村に遊びに行きたくなった。CM広告というのは、なかなかバカにならないなと痛感したのだが、僕は周央サンゴさんというVチューバ―をよく知らない。
 あまりそっちの方面には明るくないので、志摩スペイン村の広告で初めて知ったというレベルである。
 彼女が志摩スペイン村に遊びに行った話を聞いて、遊びに行きたくなったという訳だが、志摩スペイン村に対する愛が深い配信であったと思う。
 僕は、オタクが好きなものについて熱く語っている姿が大好きだ。
 推しに狂うオタク。
 ほんの少しの供給で致死量に達するオタク。
 推しがカッコいい・可愛くて切れ散らかすオタク。
 様々な形態のオタクが好きで、見ているだけでニヤニヤ出来る。
 アレは僕にとって栄養だと思っているのだが、周央サンゴさんは、それはそれはアツく志摩スペイン村について語っていおられた。
 僕はアトラクションには乗れるかわからないので、グルメ方面で攻めていきたいと考えている。
 せっかくだからコラボ期間中に遊びに行けたらなぁと考えているのだが、心配事としてアクセス方面が不便との事でバスに乗れるかが微妙なところだ。
 それと最近出費が激しかったんで、ための期間を作りたいというのが正直なところだ。
 まぁ、4月2日までという事なので、何とか行く算段をつけたいところだ。

 世界一美味しいチュロスといわれているチュロスは是非食べておきたい。
 あと、スイーツ系のグルメは制覇したい。
 美味しいモノを食べれるだけで楽しめるような気がする。
 コラボ期間が終わってしまったとしても、いつかは遊びに行きたいと考えている。
 遊びに行ったらこのブログで思い出を語りたい。
 

 鯉庵

レジェンド&バタフライ

 2023.2.19 毎日投稿 第49回

 友人と一緒にレジェンド&バタフライを観た。
 歴史エンタメは、作る人の自己解釈がいろいろあって面白い。
 この作品も、面白い解釈をしていた。
 桶狭間の戦いの勝敗を決定づけたのは、濃姫だったという解釈。
 あの時代、女性が戦の諸々に口を挟むなど許されなかったはずだ。
 現に信長と濃姫の軍議を目の当たりにしていた家臣には「この事は他言無用。殿一人で考え敦盛を踊ったと伝えよ」と言っていた。
 序盤では、歴史を動かしたキーマンが濃姫であったという印象付けが強くされている。
 歴史にリアリティを求めるのは、ナンセンスだとも思うし、面白い切り口だと思った。
 残念に思ったのは、信長に対する描写が少なかったことだ。
 彼が狂ったきっかけは、浅井長政の謀反であったという風に僕は捉えたが、もしかしたら違うかもしれない。
 比叡山を根切りにしたのも、信長が第六天魔王を名乗ったのもシーンとしてはあったが、彼の心の内はあまり描写されない。
 ただ、木村拓哉の演技は素晴らしいと思った。
 たぶん、演技でそのあたりのカバーをしていたように思う。
 狂いながら苦悶にのたうつ演技には、鬼気迫るものもあったし、濃姫に対しての想いを口にしない信長の拗らせ具合も良かったと思う。
 信長が本能寺で襲撃される過程に関しては、映画館で爆笑しそうになってしまった。
 明智光秀が謀反を起こすのは、史実に基づく。
 しかし、謀反を起こした理由を要約すると「魔王じゃなくなった信長様なんて天下人じゃないもん! 信長様は私に許せなんて謝ったりしないもん!」である。
 とんだ厄介オタクである。
 信長が本能寺で死ぬ寸前に観る妄想は、信長がチンギスハンであるという説を彼の都合のいい幸せな妄想として描かれ、その儚さと残酷な現実の物悲しさが在って胸が詰まった。
 歴史にIFは禁忌であるが、歴史にロマンを抱いてしまうのは、仕方ないと僕は思うのである。

 鯉庵
訪問者
プロフィール

鯉庵

Author:鯉庵
アマチュア物書き。
現在live maker3(開発版)を使用し18禁ビジュアルサウンドノベル【鬼哭廻牢~餓鬼・畜生編~】配信中。
dlsite様
http://www.dlsite.com/maniax/work/=/product_id/RJ202650.html


エロゲ好きの和服好き。
好きな属性は幸薄女子。



※諸注意※

ブログ内に投稿されている小説は週刊少年ジャンプ【ぬらりひょんの孫】の二次創作小説です。


ツイッター:https://twitter.com/rian_manaita

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