差別意識
2023.4.26 毎日投稿 第115回
86という作品を追っている影響で、最近改めて差別というモノを意識するようになった。
僕が中学生くらいの頃は、差別というのを肌で感じることが多かった。
前にも書いたが、あからさまなイジメという奴で、当時は、かなり辛かったという記憶が残っている。
何をされたとか、その時の空気だとかは覚えているが、顔や名前は憶えて居なくて、むしろ親の方が覚えていたりするので、今にして思えばどうでもいいことに変化したんだなと思えるようになった。
今は滅多なことでは面と向かって差別されるという事はなくなったが、ネットの海では結構な割合で“障害者”という単語を目にする。
スラング化というか、「なんとなく共通認識として」バカであるとか、劣っているという意識が在って、例えばFGOのことを【電子障害者手帳】だとかいう揶揄が浸透している。
実際に身障者手帳を所持している身からすると「他人を罵倒するのに障害者って単語使わないでほしいなぁ」という想いもあったりするのだ。
まぁ、僕のような障害者以外にも差別というのはいろいらるけれど。
実際健常者と障害者は埋められない溝はあるけども、言わば本音という意味でぶつけられると、疎外感を感じて寂しいなとも思う。
僕らよりも、日本生まれ、日本育ちの在日外国人の方がわかりやすくそういうモノを抱いている気もするが……。
悪意ある差別も、善意ある差別も、無意識な差別も無くすのは難しいから作品を通して改めて考えさせられる。