付加価値
2023.7.24 毎日投稿 第203回
何日か前、「重度障害者」というトレンドが上がった。
覗いてみると、重度障害者の人が芥川賞を受賞したということらしい。
これだけなら、特質すべきこともないのだが受賞者が、会見で「重度障害者が今まで受賞歴がなかった意味を考えてほしい」とコメントした。
これは、暗に「重度障害者は、差別によって受賞が出来なかった」という風に聞こえてしまう。
現にツイッター上では、リプ欄が「障害の有無なんて関係ない」という主旨のコメントが多く寄せられていた。
僕自身もそう思う。
内容が良かったから受賞したというのと、人口で考えれば、圧倒的に少ないのだから長い歴史の中に障害者の受賞者が居なかっただけの事だろう。
しかし、僕はこうも思った。
果たして、障害に付加価値はあるのだろうか。
僕は在ると思う。
主に悪い意味で。
僕は専門学生の頃、作文コンクールで佳作を取ったことがある。
それは、自身の障害と障害者の目線という主旨の作文だったが、今思い返しても大した内容ではなかったと思う。
ただ、題材と当事者性が受けたのだと考える。
なんというか、障害者というのはいろいろとマイノリティーに属する人々はいい意味でも悪い意味でもバイアスが掛かった見られ方をされがちだ。
大体の人たちが、同情的で、最悪の場合は侮蔑的だ。
所謂普通の人たちとは「違う」と判定される。
それを否定はしないが、壁ができやすいのも事実であり、なかなか扱いに困ると思う。
こういった審査だとかに何らかの影響が0だとは思わない。
わかりやすく表現するなら「逆差別」が発生するのではないかと僕は思ってしまう。
まぁ、単なる僕の感想だけれども、「障害」という付加価値が作品に与えられるというのは、全くの0とは思えないのだ。
鯉庵