作者の知能
2023.2.14 毎日投稿 第44回
広目天は、鬼哭廻牢シリーズに登場する中で一番知能指数が高いキャラクターという設定になっている。
けれど、僕の知能が低いので、誤魔化すくらいしか手がないのである。
そもそも知能が高いというのは、どういう事なのだろうか。
知識を得ることそのものは、努力で補うことは可能だろう。
ただ、それを生かすのは別の能力が必要だ。
自分で言うのも悲しいが、僕は思考の柔軟性が低いと思うことが多々ある。
創作に於いての独自性は、柔軟な発想力が在った方がいい作品を生み出せる気がする。
終末のワルキューレという作品がある。
漫画作品であり、アニメ化もされている。
物語の構成は実にシンプルだ。
ラグナロクという神話を神vs人類という構造に見立てて、両陣営が闘うという物語だ。
人類が敗北すれば、人類は滅亡するという単純明朗な物語である。
そこに、個性豊かなキャラクターやそれぞれの思惑、個々の人生などが絡み合って深みを出している。
釈迦もこの物語に、人類側として参戦しているのだが、この釈迦が個性的で面白い。
僕も釈迦についてはいろいろと知識を蓄えているつもりだが、その知識を物語上で、僕にはない発想で取り入れられている。
まず、僕は釈迦を陽キャにしようという発想が出てこない。
他にも釈迦が戦闘に於いて、使用する技も仏教の要素が巧みに取り込まれ、創作物として昇華されている。
烏滸がましい言い方になるが、敗北感が僕の中で湧き上がってしまう程に。
広目天の話に戻そう。
彼は、非常に知識も豊富で知能も高い。
情報の神である。
基本的なキャラクター像はもう完成しているのだが、どうも知能が高い設定を生かせていない。
生真面目で、融通の利かない寡黙な男というところまでは、僕でも書ける。
身もふたもない言い方をすれば「知能が高そうに見せる」ことは恐らく出来る。
(それすら叶わない可能性もあるが)
果たして僕は、作者の知能を超えるキャラクターを描き切ることが出来るだろうか。
鯉庵