シャイロックの子供たち
2023.3.21 毎日投稿 第78回
映画版を観に行ってきた。
池井戸潤の映像作品は、あらかた観ていると思うが、共通して物語の構成が教科書のように綺麗に纏まっている。
一見、関係ないようなシーンが終盤に繋がっていく布石であったと理解した時の快楽にも似た感覚。
そういうところを、僕も見習いたい。
ただ、見終わった時の感想としては、あまりスッキリしなかったというのが正直なところである。
「借りた金はただ返せばいい」ということではない。
というのが、テーマにあったわけだが、主人公の滝野が保身のために100万円を盗むシーン。
その手前で、家族の団欒を描き、無言の「家族のため」という伝家の宝刀が抜かれるわけだ。
どうも僕は、この手の「家族のため」というのが好きになれない。
まぁ、僕は独身であるし、社会的責任という意味で家庭を持つ男性の苦悩というのは理解できていないと思うし、こんなことを言うのも筋違いともわかっているが、家族を理由に金を盗んで保身に走るというのを免罪符にしているのは、明らかであるし、滝野が自首を一大決心する切っ掛けも、息子に合った。
世の中のお父さんには、本当に頭が下がる。
こんなことを言うと女性に叱られそうだが、男のプレッシャーというのは、相当なものだと思う。
それはそれとして、「家族のために」という免罪符はよろしくない。
滝野が弱みを握られる切っ掛けも、家族だった。
一戸建て購入のために黒い金に手を出す羽目になったのだ。
ここで、独身の僕は、一戸建てになんか住まなくていいのにとか、見当はずれの事を想ったわけだが、家庭持ちになるとマイホームが夢になるというのは、皆共通なのだろうか。
家族のため=家族の所為と同義と考える僕にとっては、理解に苦しむ。
まぁ独身の戯言である。
金というのは本当に恐ろしい。
こういう作品を見るたび、金に振り回される人生は送るまいと気を引き締めるのである。
鯉庵